若き日の相田みつをの姿を語る・・・その1。
「芸術の秋・文化の秋・読書の秋」秋の楽しみ方は色々ありますが、最近、学校の教科書に相田みつを先生の作品が掲載され勉強の教材となっているという話を皆様はご存知でしょうか?私の知り合いで相田みつを先生のことを実際によく知っている地元の方々にこの話をすると「本当に!」と全員が全員、大変驚き、興味津々に詳細を聞いてきます。それだけ、自分の身近な方が教科書に載るなどある意味、なかなか味わえない不思議な体験ですよね。相田みつを先生は栃木県足利市出身であり桐生市の方々にとっても樹徳高校に出入りをしていた時期があるなど馴染みの深い人物であるのですが、現在販売されている相田みつを関連書籍などを見ても意外にも東京の相田みつを美術館を始め、日本中に若き日々の苦労していた時代の話は案外伝わっていないものです。そんな中、最近の傾向として『作品を見て感動し相田みつをを知りました。そして今度は相田みつをとはどんな人物だったのかを知りたい』と日本中の方々が「人間、相田みつを」を知りたくなってきている時期でもあり、3年前のちょうど今頃、足利市・桐生市で撮影を行われました「にんげんだもの相田みつを物語」のTVドラマが放映されたことは記憶に新しいことだと思います。昭和20代はじめ、『自分で書を書いて生活していきたい』と夢見る若き日の相田みつを先生が足利中の旅館を訪れ、作品を売り歩きましたが当時はどこにも買ってもらえず、「旅館なか川」初代女将だけが相田みつを先生の書への熱い想いを聞き入れ、「今度からいい作品が出来る度にうちに持っていらっしゃいよ 買ってあげるから・・・」と声を掛けたのがきっかけで、相田みつを先生は作品が出来る度に約50年旅館なか川に作品を持ち込んでおりました。「なか川こそが私の出発点・・・。」と相田みつを先生が常々知り合いの方々に語っていた理由のひとつであります。相田みつを先生はご自身が亡くなるまでご自身のお母様とこのお世話になった旅館なか川女将の写真を肌身離さず持ち歩いていたという話は、意外にも関係者にしか知られていない事実であります。
つづく