「ここが私の出発点」―相田みつを先生がなか川へ最後に尋ねてきた時、なか川4代目に向かって何度も語った思い出深い言葉です。 「作品が出来る度にうちに持っていらっしゃいよ」このひと言から約50年に渡る相田みつをとのめぐりあい・・・運命の関わりが始まります。
旅館なか川初代女将 中川 光子
当然現れた青年『相田みつを』。当時、作品を足利中に売り歩くもなかなか売れず、彼の作品に対する想いと夢の話を聞いた旅館なか川初代女将の中川光子は、「いいのができたらみんな持っておいで。買ってあげるから。」 とやさしく声をかけました。こうしてなか川は、相田みつを先生の初めてのお客さんとなったのです。
旅館なか川初代女将 中川 光子
現在使用されている箸袋
作品が出来る度に持ち込む相田みつを先生。旅館中に相田みつを先生の作品が飾られるようになりました。皆様がよくご存知の『人間だもの』は、旅館なか川の応接間に飾られていた作品です。
しかしその後も、なか川以外では殆ど作品を買ってもらえず・・・生活に困っていた事情を知った女将の中川光子は、「今度は旅館の看板を書いてみるかい?」と声をかけました。光子のこの言葉でなか川の看板を製作。「へぇ~上手なもんだね~。それなら看板だけでなく、次はうちの各部屋に飾る部屋札や箸袋に、マッチ箱なんかもいいねぇ~。各部屋にちなんだ作品なんかもデザインしなよ!」
こうしてなか川は、相田みつを先生の奇妙な字があちこちに存在する旅館になったのです。今でも、先生がデザインした看板やおてもと、マッチ箱など多くの作品がお店で使われいます。

開店記念日に「そばは水が命だから・・・」とお気に入りのこの作品を持って、先生自ら壁に掛けてくれました。

なか川3代目の結婚祝いとして頂いた作品です。「心は丸くないとうまくいかない」という意味が込められております。

なか川3代目の姉が大病をしましたが奇跡的に回復し病院を退院したお祝いに頂いた作品であります。

日々、なか川に訪れるようになると相田みつを先生は作品を持ってくるだけではなく、夕方になるとご飯を食べに来るようになります。そのとき…必ず出されていた定番料理が『甘露煮』でした。女将との約束で、日本酒は一日一合までと決められ、『甘露煮』を肴に今日の出来事を楽しく話しながらお酒を飲んでいたものでした。現在のなか川では『にしんそば(相田みつを風)』として食べることができます。
当時はフナやハヤ・にしんや鮎など様々な魚の甘露煮をなか川2代目が作っていたものをお酒の肴として食べておりました。現在、にしんの甘露煮をめん割烹なか川で食べることができます。
甘露煮は、ご自宅や贈り物に「お土産(500円)」としても大人気です。

甘露煮の入ったにしんそば

相田みつをが食べていた甘露煮

日本酒を楽しむ相田みつを