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なか川へ毎日来るようになる相田みつを
昭和20年代から旅館なか川(現在のめん割烹なか川)に毎日のように出入りをするようになった相田みつを。
いい作品が出来あがると、まず一番最初に旅館なか川に持ち込んでは中川光子に見せに来ておりました。
こんな感じで旅館なか川は相田みつを作品が増えていきますが、この頃の相田みつをはなか川以外ではなかなか作品を売ることができずにおり自身の生活も困っておりましたが作家生活にも困ったことがありました。
作品を販売したお金は良い作品を作るために 『良い墨 良い筆 良い紙』になってしまい、書は1発勝負の世界な為、紙代がたくさんかかってしまい、なかなか生活費までまわらなく大変でした
中川光子 「みつを・・・遠慮しないで
ご飯もいつでもうちに食べにおいでよ」
「お酒は1日一本までだよ」
こういう事情もあり、旅館なか川には、作品を売る為に来るだけでなくご飯を食べに来るようにもなります。
毎日のように来ては甘露煮を食べながらお酒を飲み、
今日あった出来事や作品についての想いをよく語っておりました。 |
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相田みつをが食べていた
「甘露煮」
当時はフナやハヤ・鰊や鮎など様々な魚の甘露煮をなか川2代目が作っていたものをお酒の肴として食べておりました。現在、鰊の甘露煮をめん割烹なか川で食べることができます
なか川でのお酒は1日1本の約束。
相田みつをが飲んでいたお酒もめん割烹なか川で現在も飲むことができます。
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相田みつをのデザインの仕事をするきっかけ
旅館なか川(現在のめん割烹なか川)に出入りをするようになった相田みつを。
中川光子 「今度、うちの旅館の看板を作ろうかと
考えているんだよ!
みつを・・・よかったら旅館なか川の
デザインしてみるかい?」
相田みつを「ぜひともやらせてください」

これが相田みつをのデザイナーとして仕事をするきっかけとなりました。
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相田みつをが書いた
旅館なか川の看板
その奥に見える(看板の下)
「千客万来」という作品も現在もめん割烹なか川にて看板と共に展示されております。
「千客万来」は・・・
相田みつをが初めて作品を買ってもらい嬉しくなりこれを旅館の入り口に掲げてくださいと持ってきてくれた思い出深い作品のひとつです。
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旅館なか川の風呂敷
旅館時代のマッチ箱
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「へぇ〜上手なもんだね〜 それなら看板だけでなく次はうちの旅館の各部屋に飾る部屋札や箸袋に旅館なか川のハンコ・・・マッチ箱なんかもいいね〜そうそう、ろうけつ染めができるのならのれんに座布団カバー・・・
あと御年賀に配る手ぬぐいも作りなよ!旅館の各部屋にちなんだ作品なんかもデザインしなよ!とにかくうちの書くもの布物のすべてあんたがやりなよ!任せたからね!」


現在使用されている箸袋
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こんな事から当時の旅館なか川は相田みつをの奇妙な字があちこちに存在する旅館となりました。今を思えばなんとも贅沢な旅館とよく言われます。なにが贅沢かといいますと皆さんがお使いになっていた座布団カバーすべてが相田みつを作品だったのです
たくさんのお客さんのお尻の下に敷かれていたり枕にされたり踏みつけられながら長い間使用されておりました
なか川でのデザインの仕事を託されたのをきっかけにデザインという新たなジャンルを見つけた相田みつをは
相田みつをデザイン研究所という看板をかかげ
なか川の出来事から10年ほど後・・・昭和30年代に足利にある和菓子屋さん2件・・・香雲堂本店さんや虎谷さんの包装紙なども相田みつをはデザインの仕事を手掛ける様になります。
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旅館なか川
相田みつをデザイン研究所 |
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